埼玉県越谷市の真言宗摩尼山地蔵院|大悲霊廟(納骨堂)

豆知識

続・真言宗の話

興教大師覚鑁が真言宗に新たな種を蒔き、それを見事な大輪育てた頼瑜。それが新義真言宗

新義真言宗は現在大きく三派に分かれ活動しています。

奈良・長谷寺の豊山派、京都・智積院の智山派、和歌山・根来寺の新義真言宗。教義は同じながらも時代の波に呑まれ分派していきました。

高野山との確執により根来山に拠点移し活動を続けていました。しかし、戦国時代になると僧兵団の根来衆が大きな力を持ち、それを良しと思わない豊臣秀吉が1585年根来山を攻撃、すべてを焼き打ちにしてしまいました。しかし難を逃れた高僧二人、専誉僧正が奈良県の長谷寺に豊山派を、玄宥僧正が京都東山の智積院に智山派を興しました。江戸初期には徳川家の恩赦により、根来寺の再考と共に新義真言宗が復興を果たし、明治維新後は座主を豊山派、智山派から3年交代で勤めるようになりました。根来寺は豊山派と智山派で管理運営していましたが、1953年の宗教法人法の改正により、根来寺を総本山とする新義真言宗が創設され今に至ります。

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